二地域プレイヤーという生き方。

東京⇄茨城 春からは 東京⇄栃木 二地域生活に関することを中心に 日々気づいたこと, やってみたこと等 発信していきます.

X’masヒッチハイク旅 〜3台目

2台目を降り、石川PAの出口付近でスタンバイ
15分くらいで寒さのあまり一旦建物内に避難。

 

甲府くらいまでならいけるかなと思い甲府のゲストハウスを探す。
駅近くに一つ良さそうなところを見つけたので、とりあえず今日のゴールはここで仮決定する。

 

再びスタンバイ
途中、ハイビーにしてゆっくり走ってくれる人はいたものの、なかなか止まってくれず。
意外と多摩ナンバーとか東京系が多い。

 

10分くらいした頃かな。
ガンメタの軽ワゴンがゆっくりと自分の方に走ってきて、止まってくれた。

 

中から出てきた陽気な(ちょっとチャラそうな)お兄さん。
若干からかわれつつも、これでコーヒーでも買ってこい!早くしろよな!と小銭を握らせてくれた。

 

3台目。
お互い、良い思い出になるといいね、と乗せてくれた。優しい人が多い世の中だ。

 

3台目のお兄さんは、建築の解体屋さんらしい。
どうやら、自分が毎日通ってる最寄駅の隣の駅の改良工事をやってたりしていて、今日も自分の家の近くを車で通ってたらしい。すごい偶然。

 

最初の印象や雰囲気では、自分とは真逆のタイプかもしれない?と思ったのだが、
道中いろいろ話してると、とても価値観の近い人かもなと思った。兄さんにもそれは言われた。
やっぱり、人は見た目によらない、のか。笑

 

1時間ちょっと走ってすっかりマブダチになった。
「実家でよければ空いてっから泊まってっていいよ」
と言ってくださった。
ヒッチハイクで乗せてくれた人の家に泊まるのはどうなんだろう、とも一瞬思ったが、ここはお言葉に甘えさせてもらうことにした。

 

昭和インターで高速を降りると、温泉があった。兄さんは近くで用事を済ませてくるからそれまで入ってて良いよとのことだったので、そうすることにした。

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フカサワ温泉。とてもマイナーでネットに出てるのかどうかさえ怪しいような場所だった。
加温:なし 循環:なし 入浴剤:なし オールなしの表記がドヤってる。
源泉そのまんまの掛け流しで、ベストな温度と泉質が保たれてるようだ。
たしかに、ベストな温度だしシュワシュワっと炭酸ガスが心地よい。血行促進されてる感。

 

露天風呂にいくと、地元のおじいちゃんやおっちゃんたちが話してた。方言がきつめで何を言ってるのかよくわからなかった。なんだろう、この異国の地に自分が混ざり込んでるような感覚。

その中でも長老っぽいおじいさんが自分に話しかけてくれた。

みんな、定位置が決まってるらしい。
そして毎日だいたい同じ時間に来てるから、ここにいる人たちは毎日のように風呂に入りながら話をしてるんだな。ある意味サードプレイス的機能を果たしてるのか?笑

農閑期は暇だね〜みたいな話をしてるっぽかったので、おそらくみんな農家さんなのかな。


1時間くらいしてまた兄さんが迎えにきてくれた。
しばし走る。 

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盆地の夜景を眺める最高の場所にたどり着き、ここが実家だという。
都市計画を勉強するようになってからいろんな街を見てきたけど、このタイプの街は初めてみた。
家に入ると、たくさんの犬と猫に出迎えられた。

 

着いて早々、掃除機を手渡された。
クリスマスイブに、ヒッチハイクで知り合ったばかりの人の家に上がり、掃除機をかけ、
飯をご馳走になり、泊めてもらうという謎体験。

 

カレー、濃厚で深みがあって美味かった。肉が超柔らかくて米もふっくら。
お兄さんのお母さんは元々飲食店もやってたりして料理の腕には自信ありらしい。

 

そして、犬や猫とこんなに戯れたのは初めてかも?
不思議と犬と猫が寄ってくる。特に、普段人になつかない猫(やまちゃん)が自分の膝の上から離れないくらいなついてくれて、兄さんもびっくりしてた。なんでだろうね〜。

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夜は飲みに連れてってもらった。全部ご馳走になってしまった。どうやって恩返ししたら良いんだろうな、ということをずっと考えていた。

X’masヒッチハイク旅 〜2台目

1台目のファミリーのクルマを降り、調布インターに向かってとぼとぼ歩く。


正直この時点でもうテンションとしては諦めムードだった。日も暮れて真っ暗になってしまったし。粘っても乗れないようならそのまま京王線に乗って帰ろうと思ってた。

 

調布インター手前にファミマがあった。高速に乗る直前の補給基地であり、信号まで数十メートルという最強のヒッチハイクポイントのように見えた。

 

再び「山梨方面」を掲げる。
5分もしないうちに、赤信号の最後尾が自分の真横に来た。シルバーの軽ワゴンの窓が開いた。


「八王子までだったらのせてったるよ!八王子までな!!」

 

めっちゃあっさり2台目。
八潮で90分もスルーされ続けたのはなんだったのか。

 

乗車してすぐに高速のランプを駆け上がる。
(ヒッチハイク続行しておきながら、もうこれで今日は家に戻れないなと思った)

 

陽気な鉄筋屋さんのおっちゃん二人。
またまた、良い話が聞けた。
短い時間でも深イイ話が聞けるのは、旅の良さ。

 

ヒッチハイク、やっぱり今のこの年齢だからこそできることなんだな、と思った。ランダムに、いろいろな人と話せる。いろいろな人の暮らしを垣間見れる。
いつか、誰かの暮らしと野望を応援する仕事をしたいな〜と思っている自分にとって、いろんな人のライフスタイルを見れるのは本当に勉強になる。

 

おっちゃんは、八王子インターで降りるにもかかわらず、次のヒッチハイクしやすいインターの入口まで連れてってやるよと言ってくださった。
ヒッチハイク2台目だけれど、乗せてくれる人みんなに親切にしてもらって、何か感じるものがあった。(この辺は3台目の人に乗せてもらったあたりで言語化された。次の記事で書く。)

 

そうこうしてるうちに、石川PAに着いたので、そこで下ろしてもらった。

X'masヒッチハイク旅 〜人生最初の1台目

クリスマスイブ。

当初は常陸太田の古民家リノベをやる予定だったが急遽中止になってしまった。

彼女とは数ヶ月前に別れちゃったし、家でじっとしてるのもなんかアレなので、前々からやろうと思ってたヒッチハイクをしようと思いついたのが前日。卒論の仮提出が終わった時。

 

昨晩はトルコやイランでヒッチハイクしまくってる先輩を晩御飯に誘い、いろいろ伝授してもらった。やる気満々で寝床についたものの、ここ最近の疲れかなかなか布団から出られない。さみーよ。低血圧クンにはこの時期ホントつらい。あんなに意気込んでたのに行くのを止めようとしてた。

旅する日は基本的に日の出前に家を出るが、結局11時すぎくらいまで寝てた。

 

家でメシ食ったりスタンバイして家を出る。

13時頃八潮の入口1km手前くらいで色々ポジション試しながら札を掲げるも1時間半くらい誰も止まらず。正直ヒッチハイクなんぞ余裕でできると甘く見てた。

最初はザックリ「西へ!」

ちょっと具体的に「中央道」

欲張るのはやめて「首都高」

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さすがにちょっと日が傾き始めて焦り。

首都高三郷線の高架下、大型トラックがバンバン通るし排ガスで汚い空気を浴びまくってる感じ。

笑顔で札を掲げるという鉄則はあるものの、無機質なクルマのボディ相手にニコニコってのがこれまた難しい。そして無駄に高いプライドが自分を邪魔する。とか言ってたら、クリスマスカップルの女の子にスマホで撮られた気がした。

 

最初は新潟方面いきたいとか言ってたけど結局長野方面に決定。(気分)

首都高も混んできたみたいなので京王線方面に移動。この1時間くらいの電車移動がめちゃくちゃ萎える。

 

調布まで行くか、千歳烏山で降りて高井戸ICを目指すかで迷い。

千歳烏山で電車が止まる。扉が開く。気づくと体は動いていた。

もう、運命に身を任せようと思った。

 

駅を出て、早く1台目に乗りたいという思いから突然のダッシュ。

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道には片手袋。片手袋研究家に出会ってから無意識にも立ち止まってしまう。。。らくださんの言う病的感覚ってこれだよなw

 

高速にたどり着く前に20号にぶちあたる。道行くクルマのナンバーを見てみると、尾張小牧・鹿児島・静岡 等々多様性高し。

これならここで粘るのもアリかもと思い、さっそくペンで大きく山梨方面と書きスタンバイ

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でもでもやっぱりなかなか乗れない。

やっぱ高井戸インター行くかあと思ってスケッチブックを閉じて歩き始めた矢先、どこからか声が聞こえた。

 

ヒッチハイクされてる方ですよね?調布まででよければ乗せますよ!お金取らないから笑」

ついに。記念すべき僕のヒッチハイク人生の1台目。

 

優しそうなお父さんとお母さんに2歳と生まれて2ヶ月のお子さんたち。

話を聞くと、一度自分の前を通り過ぎたけど、乗せてあげたくなったらしくもう一周してきてくれたみたい。そして、ヒッチハイカーを乗せるのは初めてらしい。

 

スタートして3時間くらいしてからの1台目だった僕は胸も頭もオーバーフローしてて何から自己紹介したらいいんだとパニクってたな。

夕方の甲州街道は渋滞気味で、ゆっくり話しながら調布まで行けた。

クリスマスイブで家族で食事をしにきた帰りだったらしい。家族団欒のクリスマスイブに乗せてくれて、本当に嬉しかった。この時かな、乗せてくれた人に「こいつを乗せてよかった」と思ってもらえるようにヒッチハイクしていきたいなと思った。

 

楽しい時間はあっという間で調布駅入口近くの交差点に到着。

名刺を渡したらお父さんもくださった。図書館や写真関連の個人事業をされてるらしい。なんだかものすごく、自分のやろうとしていることと似た方向性を感じた。またいつか、調布に会いに行って話を聞きたいな。

 

お子さん2人は疲れてたみたいで終始寝たり泣いたりしてたので、恐らくヒッチハイカーが乗ってただなんて思いもしないかな?笑 何年か後、クリスマスの食卓で知るのかな。笑

 

という感じで、ヒッチハイク人生最初の1台目を降りた。

移住すると決めたおかげでできたこと。

昨日、ある僕の恩人が主催するパーティーに参加させていただいたら、そこで出会った多くの方に自分の移住の話を聞いていただけた。こんなに聞いてもらった機会って今までなかなかなかったので嬉かった。

 

いろいろとお話しする中で、いままでなんとなく頭にあった移住などへの考えが言語化され整理された。

 

いろいろ整理された事柄はあるけど、その中でも、

「移住すると決めたおかげでできたこと」

を整理してみる。

 

この記事は東京→栃木へ移動する東武線の車内でカタカタ書いてる。テザリング万歳。

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とりあえず箇条書き。

 

1.地元の価値に改めて気づけた

 

2.活動の量と質が上がった。

 

他にもありそうだけどとりあえずこの2つくらいにしとく。

まだまだ出てくると思うので思いたった時に書こう。

 

ーー

1.地元の価値に改めて気づけた

栃木に移住すると決めたことで、以下のことをやった・できた

①地元の祭りに参加して神輿を担ぐ

超かっこいい神輿があって幼い頃からずっと担ぎたかった。大学生の間は、いつか担げるから今じゃなくていいや、と担いでなかった。

移住するとなって、これを担がずしてこの町出身は語れねーなと思って知り合いのつてを必死こいてたどって担げることになった。

地元の町会の人たちとつながった。中学で隣町の学校に行ってしまったので地縁が薄めだったが、一通り地元の人たちと顔見知りになった。

小中高大学と同じでしかも学科も自分と同じという娘さんのいる大工さんと友達になるというミラクルな出会いもあった。今では立ち飲みスタンドに飲みに行くくらいの仲になった。

 

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②地元の隣町の神輿を祭りに参加して神輿を担ぐ

隣町の町会の人たちとつながった

ここの町会は、建築関係のサークルやクリエイター的な人も内包している開かれた町会だった。ネオな町会のあり方の勉強になった。ニッチな趣味を極めすぎてタモリ倶楽部に出演した人がいたりと多様性の高いカオスな町会だった

 

⇒①と②が強すぎて地元がとても魅力的な場だと気付いて、やっぱ地元にいたいと思うようになった

⇒これが、だったら東京と栃木のいいとこ取りをしてしまえばいいじゃんっていう二拠点生活のアイデアの種の一つとなる

 

2.活動の量と質が上がった。

東京を離れる前・仕事を始める前で一番自由に東京を動き回れる間に人に会いまくるなど、今ここでしかできないことをやりきろうと思ったため。半分切羽詰まるかのごとく。会社に勤めるとなるとどうしても最初のうちは勤務時間と自分の時間のバランスの取り方が難しくなるだろうし、体力的にもなかなか余力が持てないと思ったからかな。

 

フットワークはもともと軽かったが、もっと軽くなった。新卒で栃木に行くぜっていうある意味の吹っ切れを経験したこともあるかも

 

ゆくゆくやりたいなーと思ってたことに関して、いいイベントを見つけて参加できたのも、いろいろイベントに行く数打ちまくった結果かも。先進事例的な京都綾部の山奥の集落や岡山県西粟倉村に突撃することや、同じようなことをやりたい人とつながるきっかけにもなった。

 

他大のゼミに参加させてもらって、そこでアツい人たちとつながった。そしてまたそこで出会った方が主催するパーティーでその人の友達のアツい方達と出会ったのが昨日。

 

→とにかく行動の量が増えた。数打った分、とても自分に合ってるイベントにもたくさん恵まれた。行動の量 × 質がどちらも高まってる感じ。

 

ざっくりこんな感じ?

でもまだまだ書ききれてないことが多いな。思いついたらまた書きます。

ちょー親切なおっちゃんの話

昨日夜突然電話がかかってきた。

Yさん「この前言ってた空き家の件だけどもー、一応役所に探してもらったんだけど、やっぱ難しいみてーだな。」

 

10月の秋祭りの時に、お囃子のおじさん(Yさん)と立ち話をした時に、

「ゆくゆくは、大芦川沿いに住んでみたいんですよね〜。あまり山の上に行ってしまうと雪で会社に行けなくなっちゃうから、そんなに上にいかないくらいのところで、空き家とかないんですかね〜。」

っていう話をした。

すると、

Yさん「おーそしたら知り合いに声かけて探してもらっとくよ〜。電話番号教えてくれたらまた電話すっから。」

 

社交辞令的なというか、そんなまさか本当に探してくださるとは思ってもみなかった。

ひと月以上経ち、もう忘れてしまったかな〜と思ってた。

そんな中での電話だったので、なおさら嬉しかった。

 

しかも、

大芦川の流域でそんなに標高が高くないところがあったらいいなっていう超細かいことまで全部覚えててくださって、その条件で探してくれてた。

 

自分はこういう人に本当に恵まれてる。あらゆるところでこういう親切をしてもらってるんだよなあ。

感謝を忘れないようにしたいものだ。

二地域プレイヤーという生き方。

はじめまして。たくぽんです。

 

東京の下町で生まれ育ち、来年からは栃木県をベースにお仕事をしようとしているフツーの大学4年生です。

 

僕は4年間、東京の実家と茨城県内の大学を行き来する生活をしてきました。

 

最初は諸々の事情で始めた二地域生活。

でも、実際にやってみると、この生活は毎日が新鮮。一箇所にとどまっていたら気付かなかったであろう新たな発見に満ちていました。まるで旅をしているかのような毎日が送れてしまったのです。

 

ふと気づけば、

「この楽しさ、面白さをより多くの人に知ってもらいたい。実践してもらいたい。」「実践することが恥ずかしくない、それらが受け入れられる社会にできないのかな」という想いをなんとなく抱いていました。

 

そんなことを考えていたら、

いろいろなご縁があって、来年からは栃木県内で地域密着で建築の会社にでお仕事をさせていただくこととなりました。それと同時に、栃木県への移住を決めました。

内定が決まってから月に数回栃木県の勤務先を訪れたり、地域の方々が大切にされているお祭りに参加させていただいたりしていました。

 

すると。

なんだか自分が生まれ育った町、東京下町に対して自分がどれだけ愛着を持っていたのかということに改めて気づいたのです。

もともと地元愛は強いほうだと思っていましたが、移住を決めてから自分の生まれ育った町のお祭りや町会の方たちと関わるようになって、「こんなにたくさんの人が全国から集まるお祭りがあったの?!」や「こんな素晴らしい方たちのいる町だったのか」ということに気づきました。

気づけば、その想いは地元からやっぱり離れたくない、という想いになっていました。

 

一方で、栃木県で関わった皆さんは、みんな僕のことを歓迎してくれました。それはそれは、恩返しをしてもしきれないというくらいのご恩を受けました。

 

どちらも自分にとって魅力的な地域だということに気づいてしまったのです。

気がつくと「このどちらの方たちともうまくつながりを保ちながら生活をすることはできないのか。」という考えを持つようになっていました。

 

そして、そこで自分の日常に目を向けると、冒頭に書いたように、既に東京と茨城の二地域生活をしていて、しかもそういう生き方をいつまでも続けられないのかなと考えている自分がいました。

そこで、びびびっと何か自分の中で雷に打たれるかのように気づいてしまったのです。

そう、そうしたら東京も栃木もどっちにも関わりながら暮らすというライフスタイルを自分で実践してしまえば良いじゃん、と。

 

こうして二つの地域を行き来をする生活をしていると、無駄だとか、辛くない?という意見をもらうことが多かったです。でも、それを上回るほどのイイコトがあるという事実を僕は知っていました。

そういう生き方が受け入れられないのなら、自分が実践して楽しんでいる姿を記録していって、それを発信して他の人にも知ってもらったらいいんだ、ということを思ったのです。

それがそういう生活をしたいと燻っていても一歩踏み出せない人の背中を押すことにつながったり、共感してくれる人を増やしたいなと思ったのです。そして、そういう人たちとの小さな動きを起点として、社会に新しい風を吹かせることができるんじゃないか、と思ったのです。

 

たいそうなことを書いてるっぽく見えますが、やってることは二つの場所を行き来しながら日々の生活をしているだけです。でも、この単純なことのなかにも、日々の生活を豊かにするヒントがあるんじゃないかと思っています。

 

これから、少しずつではありますが、

・いままでの4年間で、僕が東京と茨城の二地域生活をしながら気づいたこと

・来年4月から、栃木県をベースにしつつも東京とのつながりをいかにしてキープしていくかの実践のプロセスや気づき

を中心に記録、発信していきたいと思います。

もちろんそれ以外の話も多いと思いますが。

 

よろしくお願いします。